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中央大学を卒業してなんとなぁ~く生きている人間のブログです。(笑)気楽にアクセスしてくださいね。

幸せになりたいとか別にどうでもいい

普通に生きたい。

幸せになるためにこの国の人達は当たり前のように残業し、婚活し、子供を教育する。その幻想的な幸せ像が虚像のように感じてしまう。

別に自分がそんなことをしたくものないのに世間はそれを求めてくる。

別に幸せになりたいわけじゃない、普通に生きたいだけなのに。

日本は残業大国だ。

残業が当たり前になっている。

朝早く起きて、満員電車に揺られ、夜遅くまで会社にいる。そんな働き方が当たり前になっているし、それを普通だとする社会の圧力は根強くあると思う。

会社の人間関係は儒教的な思想が基盤になっており、感情的に会社は回っていく。

そんな日本の会社は多いのではないか?

そんな組織の中で生きている人間が幸せか?日本人は自分の仕事に価値を見出して生きているというけど、私は違う。そんな社会との価値観のズレに疑問を感じてしまう。

健康で文化的な生活が保障されている国なら過労死だってうつ病で悩む人間が大量にいないだろうに。

日本の典型的な幸せ像にはときどきがっかりするし、うんざりする。

なんで皆がやっているからって自分もやらないといけないの?と毎日思う。

皆同じにしなければいけないという同調圧力が多くの人を苦しめているのに多様化しない現実。

飲み屋では本音が飛び交っていると思えば、飲み屋ですら空気を読み意見を交わさないサラリーマン。

どこで自分という個性をこの人達は出すんだろう?と思う。

別に普通の生活さえできればいいというかそんな豪邸に住みたいというわけでもないし、高級なレストランに行きたいとも思わないし、毎日朝起きた時に体や心が痛くない、三食当たり前に食べられる、時間がゆっくりと流れる。

そんな生活さえできていればいいと思うんだけどなぁ~

都会で生活すると家賃が高かったり、何にもしてなくてもいつの間にか搾取されている。毎日生活するために働いて負けないように振舞わなければいけない。

そもそも生活するために生存競争を酷使しれていること自体がおかしい。

生き残ることが自分の体や精神を犠牲にすることなのならなんのために生きてるんだろう?と思う。

別に自分一人だけ生きていても意味がないし、自分一人が生き残っても虚しいだけだ。

自分ができる範囲で毎日頑張っていればそれでいいし、それで生きていけないのであれば別にその人の責任じゃないし、国や社会が悪いわけで…

悩んだり、苦しんでいる人は自分を責めないでほしい。

何でもかんでも自分が悪いわけじゃない。

社会の方が悪いことだってたくさんあるから。

 

人は信用ならん

人は信用ならん。

親や先生は信用できない。

親や先生は偽善を吐くくせにその偽善が偽善であることを子供に教えない。

そうやって偽善の世界の中ですくすくと育った子供がいざ理不尽な社会に飛び込んだ時、どうゆう悲劇が起こるのかまるで理解していない。理解しようともしない。

ただ子供が無事に学校を卒業したり、普通に成人さえしてくれればいいと思っている。

その後のことをまるで考えていない。

親や先生は子供なんて見ていないのだ。先生は子供ではなく親を見ている。

親は子供ではなく世間体を気にしている。だからおかしくなる。

先生や親はよく口にする。

「他人が嫌がることはしてはいけません。」

この発言は欺瞞だ。

他人が嫌だと思うことを人は当たり前のようにやっているじゃないか。

先生や親だってたくさん無意識のうちに人を傷つけているのにね。

あんな発言をするような人達を私は信用できない。

社会も信用できない。

社会は当たり前のように嘘をつく。

会社、同僚、嘘で纏められた求人広告

ありとあらゆるものが嘘っぱちだ。

例えば、会社。

社会の中でも「会社」と呼ばれるコミュニティは嘘で舗装された空間に他ならない。

嘘も方便というがあらゆる体を体で重ね合わせるから「本物」がもはやなんなのかわからなくなる。

色んなものがわからなくなると人もわからなくなるものだ。

「他者」という存在はあるのだが、「自分」という個の部分がない…そんな感覚に見舞われ恐怖すら感じるようになる。

会社で働くとストレスであらゆる感性がなくなる。

感性がなくなると自分を失う。そして鬱になる…

会社とはそうゆうものだ。

段々、人から会社の論理で構築された機械へと変遷する。

その歯車になれなかった人は別の所の歯車になるために旅に出る。

旅に出た社会人は歯車になるために「役者」を演じる。

ほとんどの社会人は「サラリーマン役者」だ。

大根役者もいれば名優もいるだろう。

いつもニヤニヤ笑顔を演じている社会人Aさん、いつもイジラレキャラを演じてる社会人Bさん。色んなタイプの役者さん方がいらっしゃることは容易に想像がつく。

そうやって嘘で武装された人々が大量生産される。

そんな人々を信じることができるかと言われれば、私は信用できない。

まぁ、社会人になって友達ができない理由は上記に述べたことが原因で、利害関係ばかりが優先されて、「お互いを信用できない」ことが所以なのかもしれない。

子供の頃には大人への不信感が、大人なるとそれが社会への不信感に変わる。

だけど、本質は変わらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いじめの「敵」に負けてもいいんだよ

いじめることを他の人に言うというのはとても難しいよね。

大人達は当たり前のように「友達や親に相談して」みたいなことを言うが、そんな簡単なことじゃない。

子供は大人が思っている以上に子供っぽくないよ。

親には心配かけたくないと思うし、友達にもなかなか相談することはできないと思う。

だから、自分一人で考えこんでしまってとても不安になると思う。

孤独…孤独…孤独…

もし、学校に行きたくないなら行かなくていい。

親にもいいたくなければ言わなくていい。

いじめられるより何倍もましだと思う。

時間をかけて自分を見つめて歩んでいけばいい。

もし、少しだけ前に進んでもいいのなら他の人に話すといい。

そこで問題になるのは、子供には子供の正義感、倫理観、子供達で築き上げた秩序が存在しているということだ。

例えば、いじめを先生や親に訴えると、子供達の世界では「裏切り」になってしまう。

理屈ではない。子供達の理不尽な世界…

大人達にとっては幼稚な世界でも、子供達にとってはとても真剣な弱肉強食な世界。

いじめられている本人もその秩序から外れたくないからいじめを申告できない…そんな子供は多いんじゃないかな~。

先生や親も上記で述べた秩序を理解できていればいいんだけど、大人達は子供の頃をすっかり忘れてしまっているから大人達の常識で子供に「いじめられたらすぐにいいよ!」みたいに言ってしまう。

大人の常識と子供の常識は乖離しているのにね。

まぁ、先生や親が信頼できないなら、ネットの相談や相談ダイヤルを利用して全く関係性のない人間に相談してみるといい。

関わりのない人間の方が気楽に話せるし、学校の人間や親の噂話になるのも最小限に抑えられると思う。

自分がいる世界には「敵」しかいなくても、まだ自分が知らない外の世界には「たくさんの味方」がいるよ。

味方は同年代の人かもしれないし、自分よりも年上の大人達かもしれない。

自分と同じ境遇の人にも出会えるかもしれない。

外の世界にはたくさんの救いがあふれている。

だから、死んではだめだと思う。

今日が辛くても、明日はまだ見たことない新しい世界に行けるから。

今辛くても、年を取るにつれてたくさんの出会いや選択肢が増えるから。

現状よりも必ずよくなる。

悪い環境からは逃げて逃げて逃げまくればいい。

最期に笑って過去ことを笑い飛ばせばいい。

何もかもが変わる時が必ずくるから、最後まであきらめずに生きたほうが幸せになれると思うんだ。

 

 

 

 

 

 

 

少しも成長していない

人間成長するとはいうけど、私は少しも成長していない。

皆が当たり前に進んでいくのをただ後方から見てるだけ…

大人になれば色んなことが当たり前にできると思ってた。

だけど、少しも成長しない。

子供の頃見た大人はあんなに立派そうだったのに…

いざ自分がなってみると自分の幼稚さや人生経験の浅さに失望する。

小学校、中学、高校、大学、社会人と上がり、年齢も上げるんだけど、精神的には子供のまま…社会人を演じて生きている。

社会人はとにかく苦しい。

社会人と規定されているから規定された社会人を役者の如く演じなければいけない。

そうして演じていくうちに、「自分が何者なのか?」わからなくなる。

そのうち何を食べても味はしなくなり、息を吸うのも苦しくなる。

私は東京に住んでいるのだが、都会はとにかく息苦しい。

「都会」という怪物に「食いつぶされる」ような錯覚に陥る。

大学卒業後、毎日朝早く起きて、満員電車に揺られて会社に行く。

そんな当たり前な日常が苦痛で仕方がなかった。

毎日毎日、同じことの繰り返し、何かを得られるわけもなくただ時間だけが過ぎていく。時間を代償に得たお金を貰っても全然嬉しくない。

社会人の初任給は嬉しいものだと教えられてきたが、私はちっとも嬉しさはなかった。

ただ、息をしているだけで生きていない。死んでいるのと同じ…

死んだほうがいいのでは?と考えてしまうほど苦しかった。

自分の大切なものを奪われる前に何とかしなければと思い、ぎりぎりの精神状態の中私は会社を辞めた…

どれだけ生きればいいのか?この世は生き地獄じゃないかと毎日思う。

大人達は成長することは素晴らしいことだと常識のようにおっしゃるが、私はあなたがたとは違う。あなたがたは成長できる強い生き物かもしれないが、私は違う。

世の中は弱肉強食だから、いつも弱い者は虐げられる。

いつの時代であれ人間の本質は変わらない。

成長することが大衆迎合だというのならなぜ気持ち悪い世界と共存しないといけないのかわからない。

上記で述べた自分の感覚を他人に伝えても理解されないことが多い。理解されたいとも思わない。

だけど…他の人の考えは理解したい。理解できないのは悲しいことだから。

もし、他の人を理解できたら、自分を理解することにもつながる気がしている。

自分自身、自分が「何者」なのかわからないけど、少しは理解したい。

頭の中で考えた思考回路より自分や他者が感じた直観的で感覚的なものを信じれるようになったら人生豊かになれるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人が怖い

人が怖い。

相手が何を考えているかわからない…怖い。

仲間はずれにされるかもしれない…怖い

人って恐ろしい生き物だと思う。

さっきまでいた友達の悪口を平気で言う。

職場でいい雰囲気が醸しだしていつつも影ではドロドロとした人間関係が繰り広げられる。

教師や親が「人の悪口や嫌がることはしてはいけません」と言う。

あれって嘘だよ。

教師だろうが、親だろうが、大人だろうが、子供だろうが、皆平気で「他人が嫌がることをしているじゃないか…」

教師や親の虚言には滑稽にすら感じる。

それに人間関係は虚構だ。

いくらいい関係が築けていたとしても自分自身がいい関係だと思っていても相手はそうは思っていないことが多いと思う。

自分が仲良くしていたと思っていた友達は実は相手は友達だとは思っていない可能性だって十分にある。

人は徐々に人間関係を学習する。

子供の頃はすごくストレートだ。

嫌な奴がいれば、感情的に「あいつが嫌い」「きもい」「死ね」そんな言葉を平然と吐く。

それが、思春期を迎え、高校生になると理性や社会性が芽生える。心の中で「きもい」と思っていながらもうまく付き合うすべを学んでいく。日本人の特徴である空気を読むという行為も中学、高校で学んでいくはずだ。

そうやって皆大人になる。

だけど…なかなか大人になれない人だっている。

人との距離感が掴めずにうまく人と付き合えない人、自己主張が強く嫌われる人、空気が読めずにコミュニティから孤立してしまう人。

そんな人達はたくさんいると思う。

人とうまくやる処世術を持っていない人達はどうすればいいのだろう?

私は環境を変えることだと思う。

まず大切なことはうまく付き合えないことは別に悪いことではないということ。

自分以外の人間と付き合って社会は成立するわけで、自分と気が合わない人がいるのは当然だ思うし、気が合わな人と接点があったところでなんのメリット もない。

だから、環境を変える。

会社を変える、学校を変える、住む町を変える。

色んな方法で自分の環境を変えることは可能だと思う。

最近だとSNSがあるので気楽に自分の意見を発信出来たり、知り合って実際に会ってみることもできる。

昔に比べても今は環境に恵まれている。

環境を変えれば、自分と気が合う仲間を見つけられるかもしれないし、人が怖いという感情が少しは薄れるかもしれない。

人が怖いと思うのは本能的に当たり前なことだと私は思う。

けれども、人は一人では生きていけないわけで…

他の人と生きることで幸せを感じるし、明日を生きたいと思うものだ。

もし、一人だけで生活することができたとしても心がどんどんネガティブになって精神衛生上よくはない。

なので、人との関係を気楽に築ける環境がこの国にたくさんあればいいのにと感じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明日が怖い

明日学校に行くのが怖い。

明日会社に行くのが怖い。

明日が来るのが怖い人って多いと思う。

なんでだろう?

上司に叱られるから?

仕事がキツイから?

いじめられるから?

様々な原因があると思う。

明日が来るのが怖いからなかなか眠れずに不眠症になったり、うつ病になってしまったりする人もいると思う。

そもそも何のために生きてるんだっけ?と考えた時に明日怒られために生きてるわけじゃないし、うつ病になるために生きているわけでも、不眠症になるためでもない。

人は「幸せになるために生き方を選択すべきだ。」

別に辛かったら会社にだって学校にだって行かなくていいと思う。

社会人たるもの…みたいに上司から社会人の礼儀を指摘されたり怒たりしたら

「社会人の前に人間」だと思えばいい。会社や社会の論理ばかりに従う必要はないし、たまたま自分に合わない仕事や会社にいると思えばいい。会社を辞めてもいいし、会社に行かなくてもいい。人は自由だ。

学校だって嫌なら行かなくていい。人間、我慢することも大切だけど、嫌な環境に対して我慢したって仕方がない。自分の好きなことや適した環境で我慢すればいい。

学校や会社を辞めれない人の多くは他人の目を気にして行動できない人が多いと思う。

もし、学校や会社を辞めれば、同僚、上司、同級生から陰口や噂が流れることになるかもしれない。だけど、そんな噂なんてものはすぐに風化するものであり、他人はすぐ自分のことを忘れる。だから、他人の目を気にしていても意味なんてない。他人が自分に興味があるというのは幻想で学校や会社を辞めたとしても一時的な情報として消費され時間が経過すればするほど風化する。

その考えると「明日が怖い」という感情は気持ち的に少し落ち着くと思う。

人って選択肢が少ないと不幸だと思う。

「明日が怖い」と言う感情だって学校や会社に行くことしかできないと思ってしまい恐怖に感じる。要は選択肢が一つしかないと思ってしまうから辛くなるわけだ。

なので、この問題を解決するためには選択肢をたくさん作ること。要は「逃げ道」をたくさん作ることが大切。自分が置かれている状況に対して逃げて逃げて逃げまくって適した環境が見つけられたら人は幸せだと思う。

冷静な判断ができるうちに逃げ道をたくさん作れば「明日が待ち遠しい」と思うようになるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

いい人ほど仕事を辞めれない

いい人ほど仕事って辞めれないと思う。

例えば、他の人が欠勤した場合、その代わりに入ってと言われれば、いい人は仕事しちゃうと思う。

そんな感じで、いい人って仕事しちゃうし、仕事を辞めたいと思っても、「自分が辞めたら迷惑かけるんじゃ~」と思ってしまって、なかなか辞めれない人ってたくさんいるんじゃないかぁ~。

日本人のメンタリティとして仕事を辞めれない空気感や価値観は存在すると思う。

他人のために頑張るということが仕事だとすると日本人の働き方は他人に尽くすことが当たり前だろ?みたいな強迫観念が先行しているような感じがする。

確かに、他人に尽くすことは素晴らしとは思うけど、それが自己犠牲になっているような気がしていて気持ちが悪い。

そんな日本人のメンタリティが蔓延しているせいかはわからないが、働きすぎによる「過労死」が社会問題になっている。

何年か前に電通の女性社員が亡くなったが、彼女のような優秀な人ですら、仕事を辞めるという選択を取ることが出来ずに亡くなってしまった。

それは彼女の自己責任だ!という意見をネットかなんかで見た気がするが、自己責任だというのならこの国のシステムがおかしいと感じてしまう。

そもそも論として、仕事が辛い=死ぬという選択肢はありえないわけで、それの対策としてセーフティネットを敷いていない国のシステムの問題は否定できないだろう。

それとネットの気になる意見として、「会社が嫌ならやめればいい」と言う意見をよく耳にするが、私もその意見にほぼほぼ同意なのだが、その意見が成立するのって当事者が健康で適切な判断ができるというのが前提だと思う。

適切な判断が出来ないのにもかかわらず、会社を辞めれるかと言われれば、行動に移す気力や判断はできない。

だから、そうなる前に誰かしらに相談ですることが大切かも。

それは親でもいいし、友達でも恋人でも誰でもいいと思う。

本人が一生懸命生きていればいいわけだし、別にそれで生きていけないならそれは会社や国が悪いだけで、本人の責任じゃないし…一人一人でできる限りのことをしていればもうそれでいいと思う。

自分の気持ちに素直にね。