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中央大学を卒業してなんとなぁ~く生きている人間のブログです。(笑)気楽にアクセスしてくださいね。

発達障害の歩み方 ~自分と発達障害~

発達障害が何かとメディア露出してきた昨今、あなたの職場にも「この人発達障害かも?」と思う人はいるかもしれない。

今回は発達障害になった側の人間(私がなりました。)のことをダラダラ書いていきます。

私はADHDなのですが、仕事をしていると複数な仕事を並行して行うことが困難なのです。いわゆるマルチタスクが苦手、できないということなのですが、これは努力とかそんゆう問題ではなくできません。頑張ってもできない。

だから、上司から叱責を受けることもありました。

大事なことは職場に発達障害の理解があるかないかなのですが、当時私は発達障害だとは自覚しておらず職場にも当然伝えていなかったことが生き苦しさを助長していたと思います。

発達障害って自分がまさか「発達障害なんて…」みたいな実感しか私にはなくて、別に日常生活に困ってる?仕事では迷惑をかけるけど…ぐらいな感覚値でしかなかったんですよね。

だけど、1つだけ思っていたことは「自分はダメな人間なんだ」とか「自分は他の人とは違う」とかそんなことを小さい頃から思っていたことかなぁ~と。

単刀直入にいいますと、私漢字を覚えたりするのがとても苦手でして…とても苦労したんですよね。(笑)

小学4年生ぐらいに50問ぐらいの漢字のテストがあったんですけど、そのテストは満点を取るまで追試が続くという私にとっては地獄のようなテストでして…何度もノートに常用漢字を書くんだけど、その書いた漢字をいつの間にか忘れてしまい、テストでも書けず、何度も不合格になってしまいました。他の人を観察すると私と同じぐらいの勉強時間で合格になっていくのを見て「なんて自分は頭が悪いというか覚えが悪いというか…私は駄目な人間なんだ」と頭に刻まれました。

そんなこんなでなんとか中学、高校、大学までなんとか進学したんですが、個人的には「中学も本当に卒業できるのだろうか?」と思うぐらい悩んでいました。

そして、社会人。

社会人は今までとは違ってお金を貰って自分の価値を提供しながら生活していかなくてはいけないわけで…

だけど、社会が要求していたのはマルチタスクができる人間だったわけだ。

完全な社会とのミスマッチというか自分がダメな人間だから社会とうまく付き合えないというか…少し悲しい気持ちになったりもしましたが、自分の価値はなんなのかを見つけて生きていくしかないんですよね。(笑)

私の長所はマルチタスクは苦手だけど集中力や色彩感覚だと思っていて、自分の長所に合った仕事や社会とうまく付き合う方法を見つけていくことが発達障害とうまく向き合う手段だし、自分から生きやすい環境を選択して人生を歩んでいくことが大切なのだと思う。

 

 

 

 

世の中には死ぬべき人間がいる ~死生観~

世の中には死ぬべき人間がいる。

例えば、学校でいじめをしていた人間が何十年かあって再開した時、いじめのことなんてすっかり忘れている。そんなことはよくあることだ。

世の中は理不尽であり、どんな罪でも時効で罪が許される。

こうした世の中で生きているといじめや過重労働で自ら自殺する人間がいる。

私はそうした人間は自殺するべくしてしたのだと思う。

偽善者は選択肢はたくさんあるよ!なんていうかもしれないが、本当にそうだろうか?

自殺するぐらい追い込まれている人間は自殺するぐらいしか選択肢がないぐらい苦しんでいたんじゃないだろうか?

であれば、自殺を選択して死ぬことは決して悪いことじゃない。

人はいつか死ぬ。

自殺を否定して生きろ!という人間は勝者の弁のように私には聞こえてしまう。

自殺者の苦しみがわからない以上、自殺をしたということまで否定すべきじゃない。

自殺者を減らしたのであれば生きて!とポエムのように説くのではなく、自殺をどう減らせばいいのか対策案を考えることにある。

自殺させないような仕組みを作ることが大事だ。

だけど、旧来の日本価値観では不可能だろう。

滅私奉公、参加することには意義がある、高校球児は丸刈り、集団行動、上下関係…

数えきれないほど古臭い価値観がある。

この価値観を変えるには今を生きる人間だけだ。

だが、変わらない。決して変わろうとしない。

なぜなら、大人になればなるほど今までの価値観を変えようとしないからである。

生物は本来環境に変化し進化してきたというのに…

大人達が変わらないということ子供達も変わらないということである。

例えば、電通の事件のように何度も何度も社員が過労自殺や過労死をする会社だってある。それは会社の風土が変わらないからそうゆうことになる。

結局は弱い人間が生きづらいようになってるんだ。

だから、本当に苦しくなった時、目の前が真っ暗になって自殺していたなんていうのは当然なことであり、その対策を講じようとしない社会が当事者を殺したのと同義なのである。

生きたいなら生きればいい。

死にたいなら死ねばいい。

生きる権利と死ぬ権利の両権を人間は持つべきだ。

だけど、死ぬ権利は大変慎重に行使しなければいけない権利だとは思う。

近年は自殺した人間に対して、いろいろ考えすぎな気がする。

結局は自殺した本当の理由なんてあくまで推測でしかないわけでそんなことを議論したって仕方がない。

もし、今幸せに生きている人がいるのであれば「幸せで幸運だった!」ぐらいに思って欲しい。

世の中には苦しんでいる人達がたくさんいると思うから。

 

生きることと働くことが一緒になっている。 ~生存と勤労の分離~

仕事で過労死や人間関係などで追い込まれて自殺したりすることが残念でならない。

なんでそんなことがこの国で起こるのだろうか?

それは生きる権利と働く義務が混在しており、働けない人間は「価値がない人間だ」とレッテルをはられることを恐れて自殺をしてしまうのではないかと推測してしまう。

日本は「勤労の義務」と言うよりかは「勤労の強制、強迫観念」を強く感じる。

明治維新以来の「富国強兵」のメンタリティが現代社会に名残として残っているのでは?と思ってしまう。

なんで皆が頑張ることが強制される社会なのだろう?

確かに、頑張ることは大事だし、努力することは素晴らしいことだと思う。

だけど、働きすぎや会社のいじめなどによる人間関係からくる自殺は

「生存と勤労の分離」(私が適当につけた造語)ができていない証拠なのではないだろうか?

頑張ることは大事だけど、それは個人が自分のできる範囲内で頑張ることが大事であってそれを社会や会社が強制的に追い込むと※「電通の事件」ような悲惨な結果をまねくだろう。

電通の事件…2015年当時24歳だった新入社員の女性社員がクリスマスに寮から飛び降り自殺をした事件。

これは私の推測だが、この事件で新入社員の女性社員が亡くなった理由は電通が大手の大企業であり、いくら過重な労働やパワハラがあったとしても耐え忍ぶことで大手の企業で働けるという自尊心と高収入が手に入ることで親を楽にすることができたり、自分自身の生活が楽になるという考えがあってなかなか辞めるという決断が出来なかったということと、働きすぎて辞めるという選択肢を考える余裕すらなかったのではないかと思う。

そもそも仕事というのは生活を維持したり、今よりも豊かになるためにするものであって職場の環境に合わずに鬱になったり、過重に労働したりするまでやるものではない。

今の日本の働き方は精神、肉体を擦り減らしながら皆が働いているようにしか私には見えない。

他の人が一生懸命働いているから自分もそのぐらい働かないと…みたいな考え方が日本人のメンタリティとしてあるのだろう。

だけど、1人1人個人の能力、体力、長所、短所あらゆるものが違うのだから皆が同じ出社時間で同じ労働時間で頑張るとか正直どうかしていると思う。

いかれているとしかいいようがない。

皆が平日同じ時間帯に電車に乗る「満員電車」という現象もどうかしている。

人間は機械じゃないわけで、1人1人に思いだったり、生き方だったり多種多様な考えがあるんだからその考えが反映された働き方になってないのはとても遺憾なことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お金が本人にとってどれだけ大事かを知ること ~金銭感覚の話~

お金が本人にとってどれだけ大事かを知ることってすごく大事だと思う。

例えば、ブランド物をたくさん買う人やいい部屋に住みたい人はそれだけお金を稼がないといけないわけじゃん。

それって時間をすごく消費したり、仕事において毎日ストレスを感じながら得られる報酬じゃん。

それが好きな人はそれでいいと思うけど、私は別にブランド物に興味がないし、いい家に住みたいわけじゃないからそんなことに時間を浪費してまで得たいとは思えないんですよね。

そんな時間があったら自分の好きなことができるわけじゃん。

例えば、好きな本を読んだり、ゲームをしたり、寝たり…

そんな働く時間より私は好きなことをする時間の方が何百倍も大事だからそんな時間を大切にしたい。

だとすると、ミニマリストみたいな人ってそんなにお金なくても生活できるわけじゃん。

お金って必要な財やサービスを交換するためのただのツールじゃん。

そのツールに踊らされているのが資本主義だとするとなんだか馬鹿らしく私は思えてくるんですよね。

だから、私は質素に生活しているし、本当に必要なものは何なのか?買い物に行くとき、常に考えるようにしています。

そうすればいちいち家計簿を付ける必要なんかないし、自分に必要なものが何かをわかっているから無駄なものを買わずに済むわけですよ。

だけど、スーパーとかで他の人が買っている商品を観察する限り、無駄な物をたくさん買ってるなぁ~と思ってしまう。(笑)

大抵買い物で失敗する人って買う行為自体に高揚を感じているだけであって、買った後に後悔したり、一度も着ない服とか一度も食べずに賞味期限が切れた商品が家から大量に出てきたりするんですよね。

買う行為自体を楽しんでいるというね。(笑)

それってお金の無駄でしょう?

だったら物を買う前に自分が好きなもの、嫌いなもの、いらないものを頭の中で考えるようにした方が賢い。

だけど…なかなか皆が皆できないんですよね~(笑)

人間には欲望があってその欲望に従順な人の方が圧倒的に多いから大量生産大量消費みたいな現象が起きるわけでして…人間ってそんな生き物なんだなぁ~と感じてしまいます。

最近、ミニマリストが注目されたりもしましたが、あれって流行り廃りとかじゃないんですよね。(笑)

いかに、毎日同じような金銭感覚で生活できるかが重要なのでメディアを見て「俺はミニマリストになる!」って宣言しても失敗するのがオチです。(最近の健康ブームとかもそうですが…(笑))

まずは自分を知ることから始めてみたら段々お金というものがどんなものなのかわかってくると思います。

 

発達障害者は仕事でミスをしたいからミスしているわけではないんですよ。

発達障害者は客観的に仕事のミスが多いとか、コミュニケーション能力が著しく低いとか言われがちですが、発達障害で苦しんでいる人を理解して欲しいと思います。

私も含め発達障害者は仕事をしている時、一生懸命仕事をしていると思う。

ただ、会社が求めていることと自分達が作業したものに対してズレが生じている、それが問題なんです。

別にミスをしたいからしているわけじゃない。(誰だってそうでしょう。)

ミスを正解だと思って行動してしまうから問題なのです。

例えば、見積もりの仕事をしている時、発達障害のタイプによるとは思いますが数字の間違いを正解だと判断して作業をしてしまう。

これは私が経験したことなんですが、とある数字を見てもそれを間違いだとは判断できなかったことがありました。

もちろん全ての数字を間違えるわけではないけど、十分に注意深く作業をしていても間違ってしまうのです。

これが発達障害なのかと実感してしまうわけですが…

会社の解決策としては見積もりやメールの送信など間違えがないかを他の社員と確認しながら作業するなどダブルチェックは必須だと思う。

このように発達障害者で数字や文書の理解などが難しいと感じる人は自分の頭の中では正解があってその正解が本質と乖離してしまうから上司から叱責を受けたり、落ち込んだりする現象が起きてしまう。

このようなことを理解してくれる人が私の人生の中でいたかと言われればいなかった。

多くの発達障害者は「普通の人」だとみなされる(普通の人と識別できないから普通の人として生きている。)「普通の人」の働き方を求められる。だけど、メールや電話応対、データ処理、様々ことをユーティリティに求められる現代社会では発達障害者はとにかく生きづらい。

だから、ミスを少しでも防ぐ対応策が必要なのだが、その前にまだまだ障害の理解がたりていない気がしている。

人は理解されて初めて心が安らいだりする生き物。

だから、理解されないということは生きづらさを感じてしまい、うつ病などの病気を発症してしまうリスクだってあるはずだ。

近年、コンプライアンスの強化で1人当たりの負担が大きくなってんじゃないかと思う。

少しでも変な行動を取ったらコンプライアンスの違反にひっかっかってしまうような…

揚げ足取りというか罠が張り巡らされているようなそんな感覚。

そんな生きづらい現代社会で生きていくには生きやすい環境を探し続けるしかない。

生きやすい環境に行き着いた時、幸せな日々が始まっていくのだと思う。

 

 

 

 

今も気付かず苦しんでいる人たちへ ~発達障害~

単刀直入に言うと私は発達障害だった。

自分が障害を持っているなんて…日常生活ではなかなか知る機会もないし、気にもとめない問題だと思うんですよね。(実は私がそうでした。)

発達障害…そんな障害の存在じたい私はよく知らなかったし、知る機会もなかった。

ぶっちゃけ、何かの症状は感じつつも日常に追われているのが現代人の特徴なんだと思う。

私自身、仕事に追われていると考える余裕がないから自分が病気なんじゃないかなぁ~?と初めて考えるのはたまにやってくる休日ぐらいだった。

私はADHDとSADと診断されたのだが、ADHDとSADとADHDどちらが苦しいかと質問されれば私はADHDと即答するだろう。

私のADHDの特徴として何らかの作業している時、電話がなったとするとまず頭の中がパニックになってしまう。

複数のことが同時にできないのだ。

電話に出るということはまず自分がやっている作業を辞めなければいけない。

そして電話に出て、電話で聞いた内容をメモしたり、電話番号を聞かなければいけない。私は苦痛でしかなった。なぜなら、複数のことが同時にできないからどこかが抜けてしまいそれが仕事のミスにつながるからだ。

さらに先ほどまでやっていた作業のことを忘れてしまう。

そんなこと人間だからあるよ!みたいな意見もあると思うが、その頻度が多いのが発達障害者の特徴なのだ。

そんなこともあって仕事に対して私は恐怖心を抱いてしまった。

私のように発達障害なのにもかかわらず、発達障害とは知らずに叱責を受けている人は多いんじゃないかと思う。

このようにマルチタスクの仕事が苦手な私ではあるが、もう1つ苦手なことがある。

それがコミュニケーションだ。

コミュニケーションと言っても様々な種類があると思っていて、「文章から適切に読み取ってそれを他者に周知するコミュニケーション」、「人から口頭で伝えられた情報を適切に理解し、それを他者に説明できるコミュニケーション」、「自分から事実と意見を分けて他者に対して自発的に話すことができるコミュニケーション」

私の考えるコミュニケーションの種類はこんなところだろう。

私は上記のコミュニケーションが全て苦手だ。

メールの文章を理解するために何度も読むけど文章の意図が理解できなかったり、人との会話では行間を読むことができずに作業に抜け漏れがあり叱責されてしまう。

「ここまで仕事ができないと怒りすら感じず、ただ自分はダメな人間なんだと悲しくなってしまった。」

私と同様に苦しんでいる同士がいらっしゃるのであればSNSでもなんでもいいので情報を発信してほしいなぁ~と感じる。

まだ診察を受けてない人ももしかしたら…と一度自分の過去を振り返ってみていただきたい。

そうして少しでも発達障害が知られて、寛容度の高い社会になって欲しい。

 

 

仕事で幸せを感じるのは大変!

仕事で幸せになるのはとても大変だと思うのです。

なぜなら、仕事って1つの業界に星の数の人材がいるわけじゃん。

その中で上を目指して頑張ろう!と思う人間にとってはすごい競争になるからとても大変じゃん。

だけど、日本って誰もが上を目指して頑張りましょう!みたいな国なわけじゃん。(高度経済え成長期の名残みたいなものだと思うんだけど…)

「なんでそんなことをならなきゃいけないんだよ!」と個人レベルで私は思うよ。

なんか別に出世とか興味ないし、仕事もそこそこプライベートもそこそこでいい!みたいな人って多いと思うんですよ。なのに日本の働き方として皆1位を目指しましょう!ってへんじゃないですかね?(2位じゃダメなんですか?っていう政治家がいましたが…)

国や会社が求める働き方と個人レベルでの日本の労働者たちが思う働き方に乖離がある気がしてならないんですよね。

私としても別に出世とか興味ないし、そんな贅沢をしたいわけじゃないから生活水準はそんなに高くなくていいんですよね。

だから働き方としても週3とか1日4時間労働とかでなんとかなると思ったりする。

まぁ、東京の都心だと家賃高いから働かざるおえないけど、都心部から離れたところなら実現可能な働き方だし、将来的には都心部にいても多様な働き方ができる国にならないとおかしいし、そもそもこれから人口が減る中で既存の働き方をしていたら破綻してもおかしくない。

なんか話がずれてきた気がするけど…仕事で幸せを感じる人は他の人よりも努力して評価されないといけないから大変だよね。(それが好きな人なら別にいいけど)

私は仕事の評価よりも毎日の日常に幸せを感じたりする人間だから仕事はぶっちゃけそこそこでいい。

例えば、朝起きたら体が痛くなくて幸せだとか、季節の変わり目を感じながら生活できて幸せだとか、そんな平凡な幸せ感じて生きていきたい。

その幸せに対して、過重な労働や、会社での無駄な人間関係は不必要なんですよね。

最近はよくダイバーシティ働き方改革を!みたいな風潮は感じるけど実現にはいたってないと思う。

結局、パワハラやセクハラは蔓延してると思うし…(ただ皆が訴えないだけ)

仕事はできる人に仕事が集中して残業時間が増えるし…(ただ本人が楽しくやっているのであればいいが、私の経験上そんな人は少数派)

皆他の人に注意がいくほど余裕がないんだと思うんですよ。

自分のことしか考えられないような国で仕事やプライベートが幸せになれますかね?…と私は疑問。