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中央大学を卒業してなんとなぁ~く生きている人間のブログです。(笑)気楽にアクセスしてくださいね。

絶対なんかない。

今の「自分」が絶対じゃない。

自分が正しいと思ってた過去。

そしてそれが間違えだと気付く未来。

必ず人は後悔する。

「なんであの時、間違えに気付かなかったんだろう?」と… 

人はその繰り返し…

そのたびに自己嫌悪。そしてすぐにそのことを忘れてまた過ちを繰り返す。

人は学習しない生き物だけど、成長を感じている。

 

絶対なんかない。

 

 

眠るってなんだっけ?

あれ?

眠るってなんだっけ?

そもそもなんで人間って眠るんだっけ?

どうやって眠るんだっけ?

あれ?眠り方を忘れてしまったよ。

人間って意識しているときから眠るという行為にどうやって移動するんだっけ?

考えれば考えるだけ眠れなくなるのについ考えてしまう。

だから結局眠れないという悪循環。

 

眠るってなんだっけ?

 

 

善意が人を傷つける

自分ではいいことをしたと思っていても、実は誰かを傷つけている。

しかし、それは「悪」ではない。なぜなら、本人がいいことをしていると思っているからだ。

人間は知らないうちに罪を犯しているものだ。人間は常に他の人間とすれ違っている。だから分かり合えない。だから暗い事件が起こってしまう。

つまり、全ての人間は罪人なのである。

日本などのアジア諸国では死刑制度があるが、そもそも論として罪人である人間が他の人間を裁き、犯罪者を「死刑」という行為で強制的に殺すなんておこがましいことなのではないだろうか?

死刑になるほどの大罪を犯したのは本人の問題だという意見もあるが、死刑になるほどの人間を生み出しているのは私達が作る社会なわけで、本人だけの問題ではないと思うのですよ。それには家庭環境、社会情勢、人間関係、様々な原因があり、それらによって犯罪者を生み出している。

法律というものは完全ではない。法律を作ることによって起こる悲劇もある。

法律というものは作れば作るだけ人権がなくなる。

その人権がなくなる過程で人間は本質的な部分をさらけ出す。

善意でもあり悪意でもある。

 

善意が人を傷つける…

 

 

 

 

 

人間の役割

人はみんな何らかの役を演じて生きているのですね。

例えば、

子供の頃は「こども」の役を演じて生きている。

部活であれば先輩と後輩の役を演じる。

会社であれば上司と部下の役を演じる。

そうやって社会に出るとみんな何らかの役割を担うわけですが、人間というのは

「他者が違えば役割も変わる」のですね。

部活であれば先輩は後輩に対して上から目線で話したりするのですが、その先輩は先生に対しては律儀だったりと人間は人によってキャラを変えることができるわけです。

要するに、人は社会で与えられた役割を演じるために「仮面」被って生活をしているのですね。

それは男性においても女性においても変わらないんですよね。

男性も女性も本質の部分は変わらないので…

例えば、女性が男性に対して媚を売っていたとしてもそれは別にその女性だけがやってるわけじゃなくて批判する人もみんなやっているわけで…

自分を客観視できてないんじゃないですかね?

 

人間の役割…

 

 

 

 

 

個性と社会のルール

人間には個性というものがある。

個性とは自分自身が大切にしているかけがえのないもの。

しかし、その個性によって他人を傷つけてしまうことがある。

例えば、「交通ルール」

「自分の個性は車のスピードを出すことだ!」と言ってもスピード運転をしてしまったら他人に迷惑がかかる。

つまり、個性を出していい場合と個性を出してはいけない場合がある。

「個性と社会のルール」ボーダーを明確にしなければ個性は出せない。

ではもう一つ例を出そう!

もう一つの例は「学校制服」

中学生、高校生は学校では制服を着なければいけない。

これは校則で定められている。

そうした場合、私服で学校に行くことはできない…私服を着たとしても他の人間の迷惑にはならない。

でも、制服を着ないと先生から怒られてしまう。

この場合どうするか?

この場合、現行法に従わなくてはいけないため制服を着るべきだが、私は制服を着るのか私服でもいいのか?という議論の場を設けて生徒の支持が過半数を超えた場合は私服を着てもいいと思うのです。

そうなった場合、「伝統ある制服」を廃止することに対して反対意見が出ることが予想されるのですが…学校は生徒のためにあるものであり、生徒がそう選択したのならいいのではないかと思うのです。

民主主義的にも筋が通っています。

そうやって社会のルールを変えるのであればルールを変える場所を定めて議論をしていくことが大切なのではないでしょうか?

個性と社会のルールがぶつかった場合は他者の支持が必要になるでしょう…

 

個性と社会のルール…

Who will know …

誰が知っているんだろう?

誰があなたのことなんか知っているんだろう?

誰も知らない… 

誰もわからない…

親があなたことを知っている?

友達があなたのことなんか知っている?

「本物のあなた」のことなんてみんな知らない…

あなたも「本物の自分」なんてわからない…

誰も知らない…

あなたもわからない…

みんな求めることばかりに夢中で…理解できない…

 

Who will know …

 

 

 

人間フィルター

人間は他人を見る時、属性によって分類する。

例えば、

明るい

頭がいい

人懐っこい

などなど…

人間が他人を評価するのなんてそんなものだ。

しかし、人間を属性別に分けることなんてそもそもできない。

例えば、明るい人間がいたとしてその人は「明るく」他人に対して振舞っているのかもしれない。でも、それはその人の本質じゃない。ただ単に明るく演じているだけ…

自分は明るい人間なんだと…そう自分を自己洗脳して他人に配慮しているだけなのだ。

明るいと言われている人も暗くなる時はある。

頭がいいと言われている人は頭がいいと思われるように演じてしまう。

人懐っこい人は八方美人になる。

それなのに世間はその人の性格として属性別にカテゴライズしてしまう。

人間には様々な表情がある。そんな当たり前のことを理解しているつもりで、理解できていない。いや…カテゴライズしてしまい理解しようとしていない。

みんなが共通認識として「人間はそんなもんだ…」と理解していればもっと寛容な社会になるのかなぁ~と…

 

人間フィルター…