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中央大学を卒業してなんとなぁ~く生きている人間のブログです。(笑)気楽にアクセスしてくださいね。

過去に対するノスタルジーと未来に対する失望と希望

日本は戦争で負けた。

戦争で負けて広島と長崎では原爆が落とされた。

日本という国が焼け野原になってしまった。

その後、日本は高度経済成長期に突入した。

日本人の価値観としましては過去に対する絶望と未来に対する希望があった時代。

月日は流れ…21世紀になった。

日本人の価値観としましては過去に対するノスタルジーと未来に対する絶望が同時に襲うようになってしまった。

昭和生まれの日本人は「あの頃はよかった…」と思うようになってしまった。

だけど…平成生まれにおける日本人の子どもの価値観といたしましては「大人になりたい!」と思う…未来に対して希望を持った人間だって存在する。

 

過去に対するノスタルジーと未来に対する失望と希望

 

 

 

 

 

学校も刑務所も会社もそんなに変わらない

学校も刑務所も会社も組織の論理で動くわけですが、学校でも刑務所でも会社でも集団主義であり、個人の考えを反映していくのが難しいと思うのです。

個人が「こうしたい!」「こうありたい!」と思っていても集団に迎合すると「こうしろ!」「これぐらいやれ!」と言われてしまう。

そんな社会で生きているととてもとても辛くなる。

学校でも会社でもいじめがあると思うのですが、いじめというものは閉鎖的な環境にいるからいじめが起きるわけで、それは軍隊だろうが、刑務所だろうが、変わらないと思うのですね。

所詮、人間の本質なんて学校も刑務所も会社もそんなに変わらない。

 

牙と牙

ある人の牙とある人の牙とがぶつかり合うとお互いが傷ついてしまう。
もし、どちらかが牙を収めたらどちらかが負けてしまう。

だから、人は牙を収めようとしない。

もし、お互いが牙を収めたらそれはそれで気持ち悪い。

じゃあどうすればいいんだろう?

 

牙と牙

 

 

移動が感動?

20世紀は「移動」が「感動」だったと思うのですね。

例えば、

新幹線は「夢の超特急」だと言われていたり…

ライト兄弟は「人類の夢」だった飛行機の発明をしたり…

移動手段が画期的になるというのは「人類の希望」であり、人々は高揚し感動したと思うのですね。

しかし、21世紀になるとそれは当たり前のことになってしまって「移動」に感動しなくなってしまったと思うのですね。

なので、これからの移動においては「新しい価値」を提供しなければいけないと思っていて…

例えば、少子高齢化労働力人口が減少すると通勤電車の需要が減少するわけですが、その減少した需要を取り戻すために「新しい価値」の提供が必要になってくるんですね。

その「新しい価値」とは何なのか?

それが「新たな感動」だと思うのですね。

人類が進歩すれば「感動」も変わってくるので、その「感動」がどこにあるのかを見つけられた個人や組織は強いんじゃないかなぁ~と思うのです。

 

移動が感動?

 

 

 

 

みんな…画面の世界に生きている

外の世界には外の匂いが…

自分の家には家族や自分の匂いが…

友達にも一人一人違った匂いがある。

世界には様々な匂いがある。

だけど…現代人はみんな画面の世界で生きている。

ゲームの画面。

携帯の画面。

私だってパソコンの画面で今ブログを書いている。

だから、なかなか匂いに気付かない。

気付きにくい社会だと思う。

少し画面から離れてみたら「世界は美しい」と気付けるはずなのに…

 

みんな…画面の世界に生きている

 

 

 

繰り返す日常の謳歌

そもそも、変わらない日常には感謝しないといけないかと…

世界では治安が悪かったり、戦争をしていたり、食料が不足していたりしますが、そんな国々と日本とを相対的に比べた時、幸せのハードルが他の国よりもこの国は高いと思うのですね。

他の国では「死なない」とか「生きたい」とかそんなところから幸せのハードルが始まっている。つまり、幸せのハードルが低く設定されているのですね。

だけど、この国はそれが担保されていて「やりたいことをしたい」とか

「普通の人生は嫌だ!」とか平和が前提だから言える幸せのハードルをこの国の人々は設定しているのですね。

もちろんこの国の人の中にも絶対的な貧困層がいるわけですが、途上国と比較するとめちゃくちゃこの国は恵まれているのですね。

日本に生まれただけでとてもラッキーなわけで…

だから、変わらない日常に対して感謝しないといけないし、繰り返す日常に対して謳歌してもいいのかと…

 

繰り返す日常の謳歌…