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中央大学を卒業してなんとなぁ~く生きている人間のブログです。(笑)気楽にアクセスしてくださいね。

他人を羨ましく思っていても仕方がないわけで…

他人を羨ましく思っていても仕方がないわけで…

例えば、自分よりも容姿のいい友達…

    自分よりも頭のいい同期…

    自分よりも年収が高い同僚…

自分と関わる他者には必ず今の事例のような「自分よりも優秀な人間」が存在していると思うのですね。

他人と比較して幸せは感じる人間は99%不幸になってしまいまう。なぜなら、上には上がいるから。

だとすると、他人と比較して幸せを感じる価値観をやめて、自分にとっての幸せの定義を定めて生きたほうがいいと思うのですね。

例えば、年収が300万円の人がいました。年収300万円の人は年収においては400万円貰っている人には勝てないわけですよ。これは仕方のない現実なわけです。

であれば、年収400万円だろうが、年収1000万円だろうが、比較しても意味がないわけです。

大事なのは年収300万円で自分は満足しているのかしていないのかが問題で…

300万円で満足しているのであれば幸せだし、300万円で満足していないのであればもっと働いて稼げばいいし…自らが幸せを定義して選択をすることが重要だと思うのです。

要するに、他人と比較しても現状は変わらないわけです。

他人と比較してもイケメンになれるわけでも、美女になれるわけでも、お金持ちになれるわけでもないですから…

 

 

結局…自分の敵は自分でした。

結局自分の敵は自分でした。

本当はやりたいこと…やりたい職業があるのにも関わらず何もせず、怠惰に毎日を過ごしていました。

高校受験、大学受験…就活…様々な人生において他者と競わなければならない状況があると思いますが、結局は自分がどのように努力したかという結果でしかないと思うようにしています。

親の経済力や環境という問題もあるとは思いますが、親を選ぶこともできなければ、自分の才能や身体的、知能的な能力を選ぶこともできません。人間に配られた人生のカードは人それぞれで…それぞれの道があると思うのです。

他人を羨んでも仕方がないので…才能がない自分でも努力をし続けるしかないと最近思うようになりました。

散々自分の好きなこと、やりたいこと仕事…そんな自分の「夢」をあきらめていた原因は全部自分でした…競争相手なんていません。

もしも競争相手が現れたのであればその時は「自分」という敵を克服したときなのかもしれませんね。(笑)

 

人は人を食べて生きている…まさに共喰い

「自分がされたら嫌なことはしてはいけません。」よく学校の先生や親が言いたがるが…あれって嘘だよ。

自分がされたら嫌なことを皆平気でしてるじゃないですか。

私は今年で23歳になりますが、一歩引いて客観的に人間を観察すると皆平気で人を傷つけてる…「私も含めて…」

結局、学校や会社のいじめやパワハラの問題は弱いものが強いものに食われていることから生じている。

いつも叩かれてるのは弱い人間で強い人間にはいじめやパワハラの自覚は薄い。

いつの時代も強いものが弱いものを食べて生きているんだ。

小学校では肉体的に優れている人間がいじめ界の強者になれる。

会社では権力のある人間が弱い人間に対してパワハラをする。

本質は変わらない。

人間の動物的な感情は怖いもので…なんとなく人をいじめてしまう場合がある。理屈はないがなんとなくいじめる。それが本当に怖い。

人間が人間を食べて自分の優位性を示しながらこの世界を生きている…まさに共喰い

 

 

 

 

心の豊かさが欠如した世界

経済的に豊かになったこの国は街中に広告の看板が溢れ、店には大量の商品が並び、燃えきれない大量のごみが転がっている。

確かに、この国で仕事をしていれば餓えることはない。

だけど、毎日朝早くに起きて、毎日会社に行って、月末にお金が銀行に振り込まれて、そんな日常を過ごしていると…お金を貰えたとしてもただ生きているだけだなぁ~と思ってしまう。

毎日変わらない日常を過ごしていると「生きている意味」についてつい考えてしまうものである。

この国は戦争もなく、水は豊富にあるし、治安だっていい…恵まれない国と比べたらこんなに快適な国はないのかもしれない。

だけど…そんなに割り切れないのが人間だ思う。

例えどんなに恵まれた国に住んでいたとしても国民には不満があるものである。

物質的豊かさはこの国ではクリアーしたのかもしれない。

しかし、精神的な豊かさはクリアーできていないのではないだろうか?

夢を叶えようとか、やりたいことをやろうとか、そんな高尚な目標よりも何らかの精神的な欲求を満たす何かがこの国の人間には必要だと最近感じるようになっていった。

心の豊かさってなんだろう?

 

 

 

心の距離感

人との距離感がわからない。

なかなか通じない、近づけない、出会えない。

他人が何を考えているのかを考えている自分…考えてもわかりもしないに考えている自分…

他人の時間を奪って会話することへの罪悪感…

「自分はいったい何をしているんだろう」と悩み苦しむ。

機械的に会話が出来たらなんて楽だろうか?

ドラマやアニメのように機械的に会話が出来たらなんて楽だろうか?

リアルに生きている人間は「怖い」…会話が怖い…

「この世で一番怖いのはやっぱり人間なんだ」と嫌なことがあるたびに再認識する。

嫌なことがあったら酒を浴びるように飲んで現実逃避。

だけど、酒を何度も飲んでいくうちに酒で嫌なことを忘れなくなってしまう。

救いが欲しい…救いが欲しい…

時々すれ違う人を見るたびに羨ましくなってしまう。

だけど他の人には他の人で色んな悩みがあるのだろうと思う。

他人のことを考える余裕なんてないのに考えてしまう。

おそらく人間に興味があるのだろう…だけど人間が嫌い…そんな矛盾に自己嫌悪。

今日も人との心の距離感がわからず心の安定感を求めて生きていく。

 

 

 

 

 

 

親の心子知らず。子供の気持ち親知らず。

親の心子知らず…意味は「親は子供のことを心配するが子供はそれを知らず好き勝手なことをするということ」らしい。

本当に子供は親の心を知らないのだろうか?

私は親も子供も不器用なだけなのではないかと思う。

一人暮らしをしている子供に親が連絡するというのはよくある親子のシチュエーションだ。

電話で親は「元気にしているか?」と聞く。

子供は「元気にしている」と答える。

今度は子供が親に「元気?」と聞く。

親は「家族みんな元気だよ」と答える。

じゃあ本当にお互が元気に生活しているのだろうか?

子供は子供で仕事で上司に怒られたり、人間関係がうまくいかなかったりといろいろな悩みがある。

親は親で体が悪かったり、仕事が忙しかったり、親には親の悩みがある。

結局、電話でお互い思いやりのある嘘をつく。

電話の会話なんてどこの家も同じで不毛なものである。

子供が小さい時は親が「絶対的な存在」で親が言うことが全て正しいと思っていた。

だけど、成長するにつれて社会にとって親は「凡庸な存在」なのだと気づきその平凡さに軽蔑や反抗を覚えてしまう。

そんな時に生まれた言葉が「親の心子知らず」なのかなぁ~とふと思う。

でも、子供の成長過程では仕方のないことだと思うし、親は嬉しい感情もあるのではないだろうか。

子供だって段々成長するにつれて平凡そうに見えた親の背中が大きく見えてくるものだ。

だけど子供は素直になれないから親になかなかうまく感謝の気持ちを伝えられない。

親も子供に対して素直になれない。

結局お互い「嘘をつきながら」心の中では感謝をして生きている。

 

親の心子知らず。子供の気持ち親知らず。

 

 

 

 

 

 

 

子供の頃に想像していた大人の自分との矛盾

子供の頃に想像していた大人の自分は

もっと自由きままに生きていて…

もっと楽しそうで…

もっと生きている実感がある人生を送っていると思っていた。

大人になると子供の頃のような笑顔は減っていき、笑わなくなる。

毎日朝早く起きて、会社に行って寝てまた朝早く起きて…なんの引っ掛かりもない変わらない日常…

毎朝「私は何をやっているんだろう?」と思う人は多いのではないでしょうか?

社会人はみんななんらかの苦労をしていると思うし、毎日嫌なことが多いと思う。

例えば、上司に怒られたり、部下をうまく使えなかったり、サービス残業をしていたり、親の介護が忙しかったり…社会人の悩みは天文学的な数存在するんだろうなぁ~。

子供の頃はそんな悩みが襲ってくるなんて誰が想像しただろうか?いや、誰も想像していなかっただろう。

毎日友達とたくさん遊んで、たくさん寝て、子供には子供の苦労があるんだろうけど大人になると子供に戻りたいという感情が湧いていく。

「今の大人は本当に疲れている」私は最近そう思う場面をたびたび見かける。

電車で見かける死んだ魚の目をした中年の男性サラリーマン。

泣きじゃくる子供を疲れはてた表情であやす母親。

身体が悪いのにも関わらず会社に行くという使命を果たそうとする会社員。

そんな大人たちを見て育っている子供がネガティブな将来像を抱くのは仕方のないことだと思う。

本当にこの国は豊かなのかと疑問である。 

何の引っ掛かりもなくこのまま現状維持で生きていいのだろうか?