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中央大学を卒業してなんとなぁ~く生きている人間のブログです。(笑)気楽にアクセスしてくださいね。

小さい頃からの違和感…学校なんて別に行かなくていい。

私が小学生に上がる前、ひらがなを書くことや漢字に挑戦することがとても好きだった。だけど、それが小学生になると、授業の一環として、文字を書くことを強制的にやらされることには違和感でしかなかった。私は単純に楽しいからやっていたのに…

今から振り返ると学校の教育システム、教科書、先生、儒教的な思想、規則、様々なものに対して疑問に感じてしまう。

例えば、テスト。

日本のテストは減点方式を採用しているため、ミスをせず迅速に物事を処理できる人間が優遇され、評価される。

私のように、壁にぶちあって環境を変えたり、生き方を模索しているような人間には不利なシステムだし、社会からもなかなか評価されないだろう。

たぶんだけど、学校や社会で評価されていない人間は私の他にも世の中にはたくさんいると思う。

不登校の問題だって、上記で記した教育システムが問題だと思う。

私自身学校に行く意味が見いだせていなかったし、今思い返せば無駄な時間だったと思う。だから、別に学校に行きたくなければいかなくていいと思うし、むしろ「学校に行きたくない…」という感情を持ち続けることが大切な気がする。

学校に大切なものがあるというのなら学校に行けばいいし、学校に行きたくないなら別に行く必要はない。ただそれだけ…

人間なんて本当に嫌なことからは逃げるべきだし、それがわがままというのならそれは社会システムや教育システムの問題だと思うし、別に当事者の責任じゃない。

日本の社会は人間関などが閉鎖的になるもの。だから、その環境から逃げる権利は誰にでもあるべきだと思うし、今の環境に固執せず新しい環境を見つけてまた頑張ればそれでいい。

社会に負けてもいいけど、自分の感情には素直に…

 

 

 

「あれをしなさいこれをしなさい」

教育における洗脳は強烈だ。

「勉強をしなさい」

「真面目にしていなさい」

「いい学校に入りなさい」

「いい会社に就職しなさい」…

あれをしなさいこれをしなさいと子供の頃は誰しもが言われる…まさに大人になるための通過儀礼みたいなものだ。

それがどれだけ当事者を追い込んでいることになるのかを親や世間は理解しようとしない。

例えば、就職活動。

就活がうまくいかずに自殺したというニュースを見たことがある。世間では「なぜ就活ごときで死んだのか?」「死ぬまでのこと?」というコメントをよく目にした。

上記にも記述したが、「いい会社に就職しなさい」みたいに小さい時から言われ続けていればそりゃー自殺したくもなる気持ちは痛いほどわかる。

子供の頃から生存競争を強いられている子供達が本当に幸せなんだろうか?

人生というものが他人と競争するものだというのであればそんな世界にいる必要性はないと思う。

自分がやって楽しいと思うものがあれば幸せだと思うし、大切な人を見つけられたならそれは幸せだろうし、他人と比べないこと自体が幸せだと思うし…

幸せなんて自分が幸せだと思えばそれでいいわけで別に親のために生きているわけでも世間体のために生きているわけでもないのだから自由に考えればいい。

まぁ、親側の主張としては勉強をしろ!やいい会社に就職しろ!というのは子供のために言っているんですよね。しかし、それがなんだか空回りしている気がしてならない。

金でもなければ社会的地位でもなければ名声でもない。他人と比べず自分の幸せは自分で決める。

蛇足 最近だんだん暑くなったと思えば、夜は肌寒かったりして体調をよく崩してしまうのですが、服装や空調の調整がいまいちうまくいかない今日この頃(笑)。

 

 

 

 

どう生きるか?

お金が欲しい人。彼氏・彼女が欲しい人。会社を辞めたい人。鬱病で苦しい人。様々な人がいる。

世の中色んな人が生きていて色んな人生がある。皆一人一人に理想があって一人一人に現実がある。

結局は自分はどう生きたいか?そんなシンプルな問かけにどう自分が努力して形にしていくかだと思う。

私の生き方は今もブレブレで軸がない。だけどそんな自分を最近受け入れるようになってきた。以前の私に比べては…

去年私は会社を辞めたのだが、会社を辞めた時、将来のキャリア観みたいなものがあって会社を辞めたかというとそうではない。「とりあえず会社辞めようかなぁ~」みたいな非論理的な感情論だ。行き当たりばったりな人生だ。だけどそんな自分の判断に後悔はしてなかったし、「会社辞める時なんてこんなもんだよね!」みたいな適当な心情でいた。会社を辞めた後、私は「本当は自分はどう生きたかったんだろう?」というシンプルな問いかけを真剣に考えるようになった。(自分なりに真剣に(笑))

まず、生き方について考えていくと自分にはお金があまり必要ないということに気付いた。社会人と話しをすると車や結婚、家、ブランド物のバックや財布。様々なお金がかかる話を散々聞かされたが、私には一切興味がなかった。

私の生活コストはそんなにかからない。おいしいものを常に食べていたいという感性はないし、住む家は一生賃貸でいいと思っている。なぜなら、人間の欲に限界はないのだから低コストで運用した方がお金が残るし、無駄なプライドを自分自身に肉付けしなくて済むと思ったからだ。私の価値観において基本的精神なのだろう。

そんなことを考えてるうちに働く気が失せてくる。(だから会社を辞めたのかと後々気付いた。)

次に頭によぎったのは人間関係だ。私は友達はそんなに多いほうではないとは思うが、SNSには友達もどきがたくさんいた。私はそのSNSを刷新したいと思った。

そして刷新した。(実際は端末を変更する時にデータの移行を忘れていて大切な友達のデータまで消えてしまったのだが( ´∀` )その後友達との連絡に超苦労した。)

そんな感じでSNSの人間関係が整理されたわけだが、無駄な関係は無駄でしかないと思うのでその関係を捨てる勇気は必要だと思う。だけど、新しい出会いに少し期待するのも同時に大切なことではないだろうか?

例えば、会社の職場で知り合った人と飲みに行ったり、休日は出会いを求めてどこかに行ったり!

様々な人と出会えば他者が「どう生きているのか?」を知ることができるので実りのある有意義な時間になると思う。

蛇足、ダラダラ久しぶりにブログを書いたけど(約3カ月ぶり)文章書くのとても楽しい((笑))

これから定期的にブログ書いていこうかな~。

 

 

 

 

 

 

人との距離感

子供の頃、自分の言いたいことを直接かつ感情的に言っていたとする。

月日が経つと…(あの言葉を言ったら相手が傷つく)(ここはだまっておこう!)

などなど、成長するにつれて言葉を選んだり、空気を読んだりする。

そして、大人になると相手が傷つかない程度の会話を学んでいき、人との距離感をとるようになる。

まぁ、それが「つまらない!」と言う大人もいるとは思うが、殺伐とした雰囲気が好きだという大人も現れたりして、大人になると多様な距離感を持つ人間が誕生する。

多様な距離感を持つ人間が誕生するに加えて、多様な状況によっても人間の距離感は変わっていくものだ。

家族や会社、学校などなど社会生活を行う上で人との距離感どうすんの?みたいな状況は多々あるが、柔軟に他人と関わることが出来る人間となかなかうまく人と関わることが出来ない人間とに分かれていく。

前者の場合は学校や会社でうまくやれるのだろう。だけど、後者の場合は家族に対しては明るく接していたとしても、学校や会社でうまくいかずに悩んでいる人もいると思う。(まぁ、前者の場合も苦労はたくさんあると思うが…)

動物で例えるなら、カメレオンみたいなもので、人は環境によって自分の距離感を変えてしまう。本当は一定の距離感で全ての状況を打破できれば理想なのだが、大多数の人間には難しい。

相手を傷つけて、自分も傷つけて、気付いたらボロボロで…それを繰り返して相手との無難な関係を築いていく。

その無難な関係がなんか寂しい。

 

 

 

 

 

 

 

自分がされて嫌なことはしてはいけません。

学校の先生や親が「自分がされて嫌なことはしてはいけません。」と言う。

でも、それって偽善でしょ?

皆、嫌なことを他人にしている。

先生や親だって同じこと。

自分が出来ていないにもかかわらず、他人に説教をする人間が馬鹿に見えて仕方がない。

まぁ、子供の方が悪意を持って嫌なことをしているに感じる。(子供は正直なので…)

だけど、大人は大人でずる賢くなる分、汚く感じる。(大人は自分の保身で精いっぱいなので…)

 

 

 

チームでやることがそんなに正しいの?

チームで何かを達成することは素晴らしいことだと思う。

同時に一人で何かを達成することも同じぐらい素晴らしいことだと思う。

だけど、この社会は集団行動を求めている。それが人の価値といわんばかりに…

一人で頑張ることはそんなに間違っているのだろうか?私はこの社会が一人で頑張ることを否定しているように感じてしまう。

確かに、社会に出ると色んな人間と関わらなければいけないからコミュニケーション能力は求められるだろう。だけど、一人で頑張って仕事をしている人と独りよがりで仕事をしている人が同化していないだろうか?

独りよがりはダメだと思うが、一人で頑張っている人間が否定されるのはおかしい。

皆で頑張ることは素晴らしくて、皆で協力しあうことが美徳とされ、皆で仲良くすることが推奨される。なら、一人が好きな人間や一人で努力してきた人間が悪人になるのはやはりおかしい。

 

 

私が就活中思ったことと会社を辞めた理由

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

てことで、今年の最初のブログのテーマは「私が就活中思ったことと会社を辞めた理由」にしました。

去年私は会社を辞めたのですが、その理由をダラダラ書いていきたいと思います。

私は大学4年生の時、就職活動をしていました。その当時の私はなんとなーく就職をしてなんとなーく生きていくんだろうなぁーと思っていました。皆が就活をするから私もする。そんな無思考な大学生だったと思います。だけど、違和感がありました。

それは皆がリクルートスーツに身を包み、髪型を短髪にしたり、黒ぶち眼鏡にしているという点でした。私は当時それがどうしても気持ち悪かった。(笑)

髪型なんて自分がいいと思う髪型にすればと思うし、リクルートスーツなんて着たくなけてば着なくてもいい。そう私は思っていました。

私は就活中髪は長髪だったし、リクルートスーツやストライプのスーツを区別なく適当に着ていました。

そして、就活が始まるわけですが、皆(人事の人、就活生)同じような言動や行動をするんですよね。(笑)

人事の人は皆同じような質問をする。就活生はあらかじめ考えてきたであろう模範解答を面接でしゃべる。

私は「なんなんだ。この茶番劇は?」と心の中で思っていました。まぁ、こんな茶番劇すら演じることのできない無能な学生は必要ないということなのかもしれません(笑)

でも、私はできませんでした。頑張ってはみたけどできない。

だから、公園に行って読書をしたりして逃避しました。(笑)

時間だけが過ぎていく~。流石にヤバいと思って就活をして売り手市場ということもあり内定をもらいました。

内定をもらっても「なんか生きてる実感がない」「空虚な人生だな~」と思いました。

時は流れ…大学をなんとか卒業して私は働きだしました。朝起きて、会社に行って、疲れ果てて帰り際にコンビニの弁当を食べて寝て、また起きて…そんな生活を繰り返していく中で、自分の心がすり減っていく感覚がしました。今まで、生きてきた大事なものが少しづつ削られている現実に自分は「何をやってるんだろう?」と思うようになりました。

何も変わらない現実に対して、「自分にはなにができるんだろう?」「自分はどうすれば少しは前向きになれるんだろう?」と日々考えるようになりました。

日々考えるようになった結果「今の会社にいるべきではないと思うようになりました。」現実は厳しいから自分の思い通りにはなりませんが…「前に進まないといけない。」「このままではいけない。」という感情がいつの間にか私を退社へと誘っていました。その選択肢が正しいのか正しくないのかは結果論でしか判断できませんが、私のプロセスは間違っていないと信じてこれからも頑張っていきたいと思います。