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中央大学を卒業してなんとなぁ~く生きている人間のブログです。(笑)気楽にアクセスしてくださいね。

世の中には死ぬべき人間がいる ~死生観~

世の中には死ぬべき人間がいる。

例えば、学校でいじめをしていた人間が何十年かあって再開した時、いじめのことなんてすっかり忘れている。そんなことはよくあることだ。

世の中は理不尽であり、どんな罪でも時効で罪が許される。

こうした世の中で生きているといじめや過重労働で自ら自殺する人間がいる。

私はそうした人間は自殺するべくしてしたのだと思う。

偽善者は選択肢はたくさんあるよ!なんていうかもしれないが、本当にそうだろうか?

自殺するぐらい追い込まれている人間は自殺するぐらいしか選択肢がないぐらい苦しんでいたんじゃないだろうか?

であれば、自殺を選択して死ぬことは決して悪いことじゃない。

人はいつか死ぬ。

自殺を否定して生きろ!という人間は勝者の弁のように私には聞こえてしまう。

自殺者の苦しみがわからない以上、自殺をしたということまで否定すべきじゃない。

自殺者を減らしたのであれば生きて!とポエムのように説くのではなく、自殺をどう減らせばいいのか対策案を考えることにある。

自殺させないような仕組みを作ることが大事だ。

だけど、旧来の日本価値観では不可能だろう。

滅私奉公、参加することには意義がある、高校球児は丸刈り、集団行動、上下関係…

数えきれないほど古臭い価値観がある。

この価値観を変えるには今を生きる人間だけだ。

だが、変わらない。決して変わろうとしない。

なぜなら、大人になればなるほど今までの価値観を変えようとしないからである。

生物は本来環境に変化し進化してきたというのに…

大人達が変わらないということ子供達も変わらないということである。

例えば、電通の事件のように何度も何度も社員が過労自殺や過労死をする会社だってある。それは会社の風土が変わらないからそうゆうことになる。

結局は弱い人間が生きづらいようになってるんだ。

だから、本当に苦しくなった時、目の前が真っ暗になって自殺していたなんていうのは当然なことであり、その対策を講じようとしない社会が当事者を殺したのと同義なのである。

生きたいなら生きればいい。

死にたいなら死ねばいい。

生きる権利と死ぬ権利の両権を人間は持つべきだ。

だけど、死ぬ権利は大変慎重に行使しなければいけない権利だとは思う。

近年は自殺した人間に対して、いろいろ考えすぎな気がする。

結局は自殺した本当の理由なんてあくまで推測でしかないわけでそんなことを議論したって仕方がない。

もし、今幸せに生きている人がいるのであれば「幸せで幸運だった!」ぐらいに思って欲しい。

世の中には苦しんでいる人達がたくさんいると思うから。